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toriaezu. ストーリーテラーチーム

「ルッキズム」見た目が全て?

Updated: Sep 15, 2022



今年3月に報道されたニュースで東京オリンピック・パラリンピックで開会式と閉会式の演出を統括するクリエイティブディレクターだった佐々木宏さんが、昨年コメディアンでプラスサイズモデルの渡辺直美さんに豚の格好をさせるなど、渡辺さんの容姿を侮辱するような演出を提案していたことを報じられ辞任した。これを受けて渡辺さんは「私自身はこの体形で幸せ」と話し、また「それぞれの個性や考え方を尊重し、認め合える、楽しく豊かな世界になれることを心より願っております。」などとコメントした。


佐々木さんの発言のような容姿に基づく差別を「ルッキズム」と言う。


ルッキズムの実例



化粧品メーカーのKANEBOが去年「生きるために化粧をする」というキャッチコピーとともにCMを発信した。これに対し「社会全体で女性は『綺麗であれ』『化粧をしろ』『美しくないとだめ』という風潮があるのを後押ししているようで不快」「女性は化粧をしないと社会的に死にますと脅してまで販売促進していいんですか」と違和感を吐き出す女性がネット上で続出した。


ルッキズムの本質は女性軽視と大きな関わりを持っていて「ブスか美人か」という白黒の容姿の違いではなく、容姿によってその女性自身が 人格を否定されたり、不当な扱いを受けたりする ことであると考えられている。


このルッキズムと深い関係にある例として「顔採用」について紹介した。顔採用に対し、「不公平だ、もっと内面を重視して欲しい」と就活生の間で不満がでる一方で、近年では『就活メイク講座』を受けたり、サロンでプロに就活用ヘアメイクをしてもらうのも当たり前となってきているらしく、外見の与える印象の良さを強みに社会の期待などに「ウケるメイク」が当たり前になっている。


また「受付嬢やCAは美人しかなれない、長身じゃないと、細くないとなれない」と、この思考に至るには、やっぱりルッキズムが根底にあるだろう。企業の本音からすると接客業・営業職では清潔感など第一印象が大事なので、採用の際に容姿から判断せざるを得ない場合もあり、特に受付嬢はいわばオフィスの「顔」なので、やはり見た目が大事だそうだ。


しかし、ルッキズムを批判する風潮に対して少し別の視点もある。


容姿の良さは学力や身体能力などと同じで生まれ持った武器の一つであり、高い学力や身体能力があれば大きなアドバンテージが得られるのも同じであるなら、容姿を比べるイベントがあったり容姿によって利益・不利益が生じたりしても仕方ないのではないか、という意見だ。運動能力を競う運動会や学力や知識を競う入学試験などは普通のこととして行われているため、容姿が自分の一番の武器という人はその強みを生かしてもいいのでは、という視点がある。容姿を比べてもそれは人間としての絶対的な価値を測っているわけではなく、あくまでも容姿という特徴の一つを見ているだけだから差別などではない、という考えだ。


ボディーポジティブ運動


ボディポジティビティ運動とは、1960年代に起きた「fat acceptance movement」で、現在は体重にフォーカスするのではなく、「すべての体は美しい」というメッセージがこのボディーポジティビティー運動の中心である。その目的には、社会における「身体のあり方」に異議を唱える、すべての身体を受け入れることを推奨する、人々が自分の体を受け入れ、自信を持つのを助ける、そして体型に関する非現実的な基準についての議論をするなど、様々なゴールがある。


近年では、このボディーポジティブ運動の一環で様々な体型のモデルを広告に起用したり、より豊富なサイズのバリエーションを取り揃えた洋服のブランドが増えてきている。


日本でも交際相手から受けた言葉の暴力などが原因で起きた摂食障害などを乗り越え、生き方の多様性や女性の自己肯定についての活動を行っているプラスサイズモデルとしても活躍されている吉野なおさんなどがいる。彼女のSNSでは「世の中には、さまざまな体を持つ人が存在し、否定されるべき人間はいない」など、体型だけでなく自分や他人からの評価について悩むすべての人に繋がるサポートの言葉が綴られている。


ボディーポジティブを保つことは心の健康にとっても、とても大切なことだ。

不安障害の一つに醜形恐怖症という疾患がある。これは自分の外見に大きな欠点があると思い込んでしまい、思い悩んでしまうような状態のことだ。体型、肌荒れ、薄毛、肌の色など悩む原因は人それぞれである。


アメリカの俳優のジャスティン・バルドーニは思春期に細い体型を笑われたことから極度のトレーニングをし徐々に筋肉を増やすことに取り憑かれていった一方で、どれほど鍛えても自分の体を受け入れられなくなってしまった。その他にもアメリカの若手歌手ビリーアイリッシュも醜形恐怖症に悩まされていて、かのマリリン・モンローも醜形恐怖症があったとも言われている。


そもそも「美しい顔」「美の基準にあった体型」とはどんなものを指すのだろうか。また、美の基準には外見に関する「当たり前」が多く関わっているのではないだろうか。


時代や文化によっても美の定義は本当に様々だ。フランスのモデル・女優・歌手として有名なヴァネッサ・パラディのチャームポイントの一つが隙間の空いた歯だ。フランスでは、隙間の空いた歯は「幸運の歯」と呼ばれている。ナポレオンの時代に、歯に隙間があると銃の火薬の入った紙袋を噛みきれないため、除隊とされたことから、歯の間から幸せが入ってくると言われているから、あえて矯正をしない人もいるそうだ。しかし、日本で一昔前には人気のあった八重歯はフランスではあまり評価が高くないようだ。


つまり、客観的・絶対な美の基準というのは存在せず、その時々や場所によって判断されるものなのではないでだろうか。このようなボディポジティビティ運動から私たちは「メディアにふりまわされず、一人一人が自分と向き合うことが大切」だと学んだ。コンプレックスや欠点も含めて自分の身体を認めること、そして自分を愛して自信を持つことが大切なのではないだろうか。



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