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toriaezu. ストーリーテラーチーム

どこまでが許されるの?

Updated: Sep 15, 2022





前回のイベントで文化の盗用の定義について話し、今回は一体どこまでが文化の盗用と皆されるのかを考えてみた。前回は海外が日本の文化を盗用する例に注目したため、今回は日本が海外の文化を盗用している例に着目してみた。


一つ目はジャニーズグループのニュースがリリースした「チュムチュム」。この曲は衣装や振り付けなど、パフォーマンスに使用されているものがインドの民族衣装や伝統的なダンスを思い出させるようなものであり、歌詞に出てくるインド語のような部分は日本語を逆さまに読んだものであり、実際のインドとかけ離れた偏見の入った「インド像」を表している。


次は歌手のMISIAの実例について話し合った。MISIAといえば髪の毛のドレッドヘアがトレードマーク。本人がドレッドヘアにしているのは彼女 のボイストレーナーが黒人であり、ミーシャはブラック・ミュージックに強く影響を受けたそうである。しかし、ドレッドヘアは黒人の歴史に強く根付いていて、黒人が長年受けた人種差別で苦しんだ末にドレッドヘアという髪型が生まれ、現在では強さや文化の象徴となっている。黒人の音楽やファッションを黒人以外の人が真似をしたり仕事にしても暴力や制裁を受けることはありえない。当事者から見ると、黒人が苦しみながら築き上げてきた文化の良い所だけを取りコスチュームのように扱うのは文化の盗用だ、と言われている。


次は文化の盗用とみなす判断基準や、プロや専門家が他の文化を使用したりするのは文化の盗用になるのかについて話し合った。


最初に紹介したのはファッション業界のプロのイギリス人ファッションデザイナー、ジョン・ガリアーノが手掛けた着物に影響を受けたDior 一流デザイナー春夏コレクション2007の一部。


日本人ファッションデザイナー/着物スタイリストの浅井広海氏は「着物は、民族や文化の差を越えた、ユニバーサルなファッションだと思っている」と述べている。この浅井さんの意見は、 外国人のプロのデザイナーが着物の要素を取り入れた洋服を作ることを認めていることを意味していると理解して良いと考える。


あまり問題視されていないが、プロや専門家の会話になると連想してしまうのが海外の方が空手の師範として生活している例、またオリンピックの代表選手はどうだろうか。

空手だけではなく柔道や韓国のテコンドー、中国の太極拳、ヨガでも言える。

空手の師範、ヨガの先生、オリンピックの選手になるにも200時間、500時間の訓練を通さなければならない。オリンピックの種目である空手や柔道などは日本の伝統的なスポーツだ。その道を極めている外国人は、果たして文化の盗用に入るのか?


次に、文化の盗用か否かの判断がつきにくい音楽に注目した。2018年、ソニーエクスポジションにて白人のコーリニアス・ブーツさんが日本の伝統的な衣装を身にまとい、尺八演奏のパフォーマンスを行った。

このパフォーマンスに対して、演奏者が白人だったことから海外では「これは文化の盗用だ!アジア人に対しての侮辱である」「他に、アジア人で尺八を演奏できる人はいなかったのか?」「何故日本人を使わなかったんだ」などの批判が殺到した。その一方で、「何かの達人になるのに、肌の色や国籍は関係ない」という意見もあった。


専門家の定義は、「技術・芸術・その他特定の職域に精通し、専門的な知識と能力のある人のこと」を指すが、文化の盗用においては専門家だから盗用にならないという基準はなく、事例で取り扱った例も個人の判断基準によっては文化の盗用になりえる。


この度インタビューをさせていただいたJさんは、ラテン系白人のアメリカ出身の方で大学時代から今まで15年間に渡り太鼓、お囃子、獅子舞など、日本の伝統芸能を学んできた。7年前からは日本に在住している。一昨年、邦楽の囃子方としての芸名を名乗ることを師匠より許され、現在プロの和太鼓奏者そして囃子方として日本で活躍されている。


Jさん曰く「自分は15年間日本の音楽を学んできた。日本では、日本文化に情熱を持っている人として認められていると思うが、もしアメリカに戻ったら、自分の知識は全く認められないと思う。もし、アメリカのプロの和太鼓や邦楽グループのメンバーになるためにエントリーしたら、そうしたグループは、自分よりも、アジア系の候補者を、たとえ1年しか経験がなかったとしても、優先して採用するかもしれない。それが公平かと聞かれれば公平ではないだろう...でも、逆に、自分がその職を得られたらそれが公平かというと、そういう訳でもないだろう…。」とおっしゃっており、何が正しいのかを決めることの困難さをお話しいただいた。


一方で、そもそも人種で人を分けることに関して「ただ、アジア系の人を人種の理由だけで優先して採用するのは、それはそれで『アジア人はみんな一緒』という人種差別的な考え方の表れでもあると思う。」と、この文化の盗用につきものの複雑さについて、当事者の視点から語っていた。


ここまで文化の盗用について様々な実例をもとに話してきたが、実際に私たちにできることは何なのか?私たちの日常生活の中で悪気がなくても文化の盗用に加担していまっているケースはたくさんある。もしこの先、皆さんがこのような場面に遭遇した時、その行為が誰かを傷つけることにならないか、その文化の背景をきちんと理解しているのか、一歩止まって考えてみて欲しい。当たり前のことだが、他国の文化や相手の背景を尊敬する姿勢を示す事はもちろん、一人一人がこうした意識を持つことで、文化の盗用ではなく、文化の交流に繋がるかもしれない。


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