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テーマ:日常生活で常に目にするメディアはジェンダーの定義にどういう影響を与えているのか、日本やイギリスのコマーシャルを見て考えていきます。
10月23日toriaezu.ベータローンチ第一弾
テーマ:「メディアにおけるジェンダー表現」
普段電車に乗っている時に何気なく見る広告。脱毛や化粧品など様々な広告を毎日目にする中、美しくなるには「自分もこうでないといけない」と考えたことはあるだろうか。このような美容の広告は社会的な男女の役割どういった影響をもたらしているのだろうか。
日本の多くの人は脱毛を日常的に行っている。女性に限らず、最近では男性も脱毛を行っている人が増えている。しかし、脱毛広告を日常的に見ている人でプレッシャーのような不快感を感じている人もいる。「異性から好まれるためにはムダ毛のない肌でないといけない」や「女子はこうあるべき」と解釈し、女性像が無意識的に創られていると感じているのだ。しかし、男性の脱毛利用客が増えている中、男性向けの脱毛広告も増えている。こういった男性への脱毛広告も同じように男性への「男性像」のプレッシャーを与えてしまっているのだろうか。ディスカッションでは脱毛が社会の中で男女の役割や関係性にどう影響しているか話し合った。
また、この「メディアにおけるジェンダー表現」を日本の化粧品の広告の観点から見てみた。イベントであげた広告のキャッチフレーズとして「男子の好きなナチュラルメイク」や「モテ美女バイブル」、「女子の本音は男もやっぱりキレイな肌!」などをあげた。これらを踏まえ、ディスカッションでは化粧品の観点から見た、メディアや広告を映す女性・男性像について話し合った。
最後は世界の「美しさ」とは何か英国の広告とジェンダー表現の観点から見てみた。「世界で最も美しい顔ベスト100」など容姿に重点をおく企画もある。これらによって「美しさ」の基準を設けられているのかもしれない。また、女性のオブジェクティフィケーションやステレオタイプを含み炎上した広告が世界各国で数々ある。その対抗として海外ではステレオタイプを除いた広告や、日本では個人の意思で脱毛に取り組むことを主張している広告が話題になった。そこで、ディスカッションでは美しさの基準がどのように人生に影響しているか、そして美しさのない世界はどんな世界なのかなどについて話し合った。